2009年04月02日

親父 逝く/享年89

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 肺炎を拗らせて入院中だった私の父親が先月の24日、89年の生涯を閉じた。
 人は皆、最終的に死ぬ。
従って、世の中では親を亡くした”子供”など、ごまんと居る。中には、誕生の時よりその経験が叶わぬ運命の不幸な者も居る。果たして、親を亡くすと言う経験は、私にとってなにをもたらすのだろう。老衰と認知症が進行し出した頃より、そんな事を意識する様になった。意識しながらも、その事実から目を逸らせてもいた。
 
 転機となったのは、排尿用のチュ−ブを外した事の様に思える。
素人目には、だが。やはり、排尿が上手く行かず出が悪い。脹らんだ膀胱に圧迫され、排泄寸前の消化物が胃に溜まり出した。そして、それが食道を逆流した。今度は口から、チュ−ブでそれを除去した。以降、かなり楽になった様に見え、スヤスヤと眠る事が多くなった。が、素人目には、病状は中々、分からない。回復の兆し、と感じた穏やかさもそれは、衰退への一歩だったりする。
 次に、呼吸がやや荒くなるシチュエ−ションが顔を出す。鼻に差し込む程度だった酸素供給チュ−ブは、入院仕立ての頃の様なマスクに代わりやがて、3パタ−ン有る内の一番大きな物へ変更された。それですらも、弱った親父の肺に十分な酸素を供給出来なくなって来る。呼吸のピッチが速まり、全身を痙攣させる症状が出る。それが治まった後や点滴を替えた時などは、暫くはスヤスヤと眠るのだ。この繰り返し。
 入院以来、病院長からは3度、主治医からは2度、母親は覚悟を宣告されていた。
[ やる事が無い ]
と不平を言いながら、買ってやったパズル本を読んでいたが、その心中は穏やかでは無かったろう。斯様にして緩やかに、親父の寿命は下降して行ったのである。週単位で振り返らなければ数値の変化が分からない程、それは緩やかであったのだ。
 いよいよ、ナ−スセンタ−とリンクしたモニタ−が繋がれた。酸素吸入量、心電、血圧を表示するそれに、親父の寿命が映し出されていた。たまに呼吸が滞り、全身を痙攣させる。モニタ−の数値が跳ね上がる。又、呼吸が始まる。その頻度が嵩み、後の呼吸は次第に弱くなって行く。痙攣の度、私は”頑張れ!”、とは言えなかった。”もう、十分だよ、親父”、”もう、楽になっていいよ”。そう呟いていたのであった。
 23日は、消灯の9時までベッドに貼り付いた。事態が事態なのでナ−スは許してくれたが、そのまま夜を徹しても、”もしもの時”には共倒れになる。クルマを飛ばせば、10分少々で病院まで来られる事もあるし、私は母の背を押して帰宅する事にした。24日の明け方、電話が入る。フラット・ラインがモニタ−に出る様になったので、覚悟して来て欲しい由。母と妹親子とで、駆け付ける。
5時44分、臨終。

 交代で皆で貼り付いていたので、それぞれと色々な話をした。
特に姪とは、奴の人生の上で最も長く話した時間であった。ロックの事バンドの事、ライブの事、”彼氏”とやらの事・・・。子供だ、と思っていた姪ももう19である。そりゃ、色々な悩みがあるだろうよ。これが本当の親子なら、父親って一体、どう思うんであろうか。姪が言う。
[ オジちゃんさ、ジイちゃんが死んだら泣く?]
『 いいや・・・多分、泣かないよ 』
[ なんでさ ]
『 大分前からな、覚悟はしているからな。それにな、親父の事で、長男がメソメソする訳にはいかねぇんだよ 』
[ そんなモンなんかい?]
『 そんなもんだ 』
事実、私は、葬儀中やその後一人になってからも、一滴の涙も流していない。

 葬儀社の離れに亡骸が安置されてからが一番、大変だったな。
入院中、見舞いに来た親父の甥・姪連中が、こぞってやって来た。焼香もそこそこに、WBCを観る為にTVのスイッチを入れる。そこはやはり、”枷が取れた”のだろう。私は、とやかく言う事は無かった。末っ子であった親父とは、彼等は年齢が近い。10年と経たずして、順番に消えて行く連中である。私に出来る事は、全てを穏便に済ませ、”これを最後”と断ち切る事であった。
 ”仕切屋”の別の甥が、祭壇の花輪の順番に文句を付ける。
コレも既に焼きが回って居り、ヨタヨタのフガフガで終わりは近い。血の気の多い姪がいきり立つが・・・

C:『 ここは黙っておけ! バアちゃんが喪主なんだから、
   上手く対応するよ 』
姪:『 なんでよ! こんな時にあんな注文付けて、
   なんなんよ!! 』
C:『 黙ってろって。お前が・・・いや、俺が生まれる前から
   の付き合いの歴史があんだよ。それにな、ここでお前が
   文句言ったら、バアちゃんの立場はどうなる。怒るだけ
   大人になったんだったら、それくらい解れっ!!』
姪:『 ・・・ 』

 姪が危惧した通り、気丈さで跳ね返すも母はハンカチを鼻にグズグズと始めた。

C:『 どうしたい?』
母:『 悔しいんだよ、あんな事を言われて・・・』
C:『 だからって、メソメソすんのかよ。ま、葬式らしくて
   いいやな 』
母:『 バカにすんな!』
C:『 じゃあ、言ってやるよ。んな事でメソメソされちゃあな、
   今までアンタに”反骨”叩き込まれて来た俺の、立つ瀬
   が無いんだよ。悔しかったらな、牙剥いてブチのめせ。
   ”会津の女”なんだろうが 』
母:『 ・・・ 』

と、分かった風な事を言って皆を黙らせた。それでも姪は式の最中、すぐ後ろの席でクルマのロ−ンの話に勤しむ親父の甥の女房連中を、ガン飛ばしで黙らせていた。血は争えぬ。
 驚いたのは、社の先代/当代/上司が、駆け付けてくれた事である。そうは遠くないとは言え、100km近い道のりがある。これには、素直に感謝する。有り難い気持ちで一杯だ。これからは、発言には少し、手心を加えます。
 
 で、だ。私の心に去来したものとは一体、何だったのか。
或る程度、予感はしていたがそれは、単純な悲しみなどではなかった。
 親父の歳が行ってからの子である私は所謂、”パパ、パパ”した関係では無かった。10年ほど前から認知症で伏せってからは尚更、ろくな会話も交わしていない。まだ元気だった頃でも、挨拶は返ってくるがそれは、私を認識しての事ではない。
 だから、と言う訳ではないがそりゃあ、親だもの情はあるさ。でも、悲しくない。後、何年かしたら別の感情が芽生えるのかも知れないが、今はまぁ・・・年の功、としておこう。その代わり、強烈な自立心が生まれた事を報告する。強く、挫けずに生きて行くから、今はこれで勘弁してくれ。
 住職が戒名の参考にするから、と葬儀社のスタッフから故人の人となりを取材された。妹と二人、身振り手振りで話して聴かせる。スタッフが思わず吹き出してしまったエピソ−ドの数々から親父が得た戒名は、”自在照応信士”。これも勘弁してくれ!

 姪は今頃、渋谷のどこかでライブをしているはずだ。
私は行かないが、早くメジャ−になって、私を運転手として召し抱えて欲しい・・・。
 以上、顛末終わり。合掌!
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2009年03月01日

今朝の天守閣

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 起き抜けに、こんな夢を見た・・・。

 もう随分と昔、二十代も前半の頃、バイト先の友人のつてで、あるピアノ教師と知り合いになった。その人は私より4つ年上で、フワフワ・クルクルの髪を後ろで束ね、やや大きめのリボンで結んでいた。服装は、ヒラヒラの付いたブラウスが多く、それに合わせたやや長目のスカ−トを纏っていたと思いねぇ。ブラウスのボタンを一つ、多目に外しているのがアクセント!
 性格が又、素晴らしく、決して大きなお屋敷住まいではなかったけれど、振る舞いは ”マリ−・アントワネット ( 話したことねぇけど ) ” のそれ、だったのである。少なくとも我々の前では、そう振る舞っていた。まんま、の ” 女王 ”。今風で言えば ” KY ” で、同性からはすこぶる評判が悪かったのです。タレントのスザンヌ? あれをもうチョット小柄で上品にした様な、美人でしたとさ。
 よく、お茶しているところへ呼び出されたり、酒付きのジャズ・コンサ−トなどへ連れて行って貰った。本人は、シンガポ−ル・スリングを飲み私は、訳が分からないカクテルを置かれる。
『 それ、どんな味なの?』
と、私のグラスを取り、わざわざ私の飲み口を探し、ニヤリと微笑みながら啜る。
『 んふ・・美味しい・・』
返しながら、自分の飲み口を私に向ける。私は、ポカンとしながら眺めていた。
 『 アナタ、もうチョット○○○しなっさいよ 』
が口癖で、そう言いながら鈴の様にコロコロと笑う様を見るのが楽しくて、金も掛からないのでホイホイと誘われていたのであった。
 彼女の写真を貰った事もあった。” 生写真 ” である。
今の様な携帯も、デジカメなんかも無かった時代だ。当時、私たち世代の憧れの的だったBMWの、そのボンネットに寄り掛かっているところであったり、背筋を伸ばしてピアノの前に座り、それを反対側から捉えるファインダ−に向かい、普段では有り得ない優しい笑顔の彼女がいた。
 彼女は、ピアノ教室の他に、イベントに向けて営業を掛け、芸名を名乗った名刺を持って忙しく駆け回っていた。
『 あの時の○○はねぇ、35 ( 万 ) だったのよ。今度の○○は○○だからぁ、40から50は抜けるかな?』
てな感じで、若造の私には遙かに ” 大人 ” に見え、目の当たりにする姿以外、裏の実体は一切、謎で想像の付かない、文字通りの ” 女王 ” なのであった。
 田舎者の私は、貰ったその写真の意味なんて当然、分からず、” オカズ ” にもならない中途半端さから、飾りもせずに引き出しの奥へと仕舞い込んでいた。他のお姉さんと、一緒に写真に収まった事はあったが、自分の過去の写真をホイと渡す、そんな動機が分からず、想像も付かなかったからであった。
 こんな事もあった。
急な電話で・・・
『 チョット、お時間ある?・・・うん・・・クルマで来て下さるかしら・・・そう、じゃ、待ってるから 』
聞くと、親戚のオバさんの旦那に ” 浮気 ” の嫌疑が掛かっているらしく、その怪しい動向を追跡調査して欲しい、と言うのである。這々の体で、ちゃらんぽらんな支度で駆け付けた私は、玄関先でそのオバさんに頭を下げられ・・・
『 ゴメンねぇ、アナタしか頼める人いないのよ!』
と、先生にウインクかまされた日にゃ、これは断る訳にはいくまいて。なんか ” 探偵物語 ” みたいで面白そうだったし、ハ−ドボイルドの血が騒いだ。取ってくれたざる蕎麦を馳走になりながら私は、” フンフン、それで?”、と先生の段取りに聞き入ったのである。
 ドライビングテクニックの限りを尽くし、付かず離れずでオジさんの白いセダンを追跡した。横では先生が、鍔の大きな帽子を被り、これまた大きなグラサンでカモフラ−ジュしながら、片膝を立てている。大きく後ろを振り返ったり、前方を覗き込む度、スカ−トの裾から真っ白な太股がチラリと顔を出す。
『 大丈夫・・・[ ゴキュッ!] み、見つかってないと思いますよ 』
私は、2本目のシフトレバ−を握りしめ・・・イカン! 仕事中だ!! ある時、教室で ( 私は習っていた訳ではないが ) 複数名でワイワイとした事があった。私の当面に座る先生は、意識してかそうとは知らずか、スカ−トなのに ” M膝 ” を抱えている。当然ながら、中の純白の下着が丸見えな訳です。ま、こんな訳で・・・
[ 趣味なんかな? この女 ( ヒト ) ]
と、こんな感じの初なナチュラル・ガイだった私。
 ・・・あぁ、そんでオジさん、とある住宅の前の路上に駐車。いそいそと中へと消えたのである。その場をやり過ごし、少し離れた路上にこちらもクルマを停める。夏、真っ盛りの車内は、ウインド−を開け放っているとはいえ、エンジンを切ると噎せ返る様な暑さだ。熱気よりも強烈な先生の香水で、私は意識を失いそうであった。
 先生は、持参の扇子 ( 団扇ではない ) で、その香をこちらへ寄越す。たまに、[ 暑いでしょ? ホラ!] なんて言いながら、ノ−・スリ−ブの脇を見せながら私の頭上を扇ぐ。心拍停止の寸前で・・・
『 あっそうだ、証拠、撮っとかなくちゃね!』
おもむろに1眼レフを取り出し、ヒ−ルを脱ぎ捨ててフェアレディの助手席に膝で立った先生は、もう ” これ以上ない!” っちゅうくらい背中と腰をS字に反らせ、オジさんのクルマとその家とに向かい、シャッタ−を切った。私のモニタ−は既に、フラット・ラインを描いていたのである。煙草を2・3服した後、一向に変化の無い現場での張り込み飽きた私達は、その場を離れたのであった。
 『 取り敢えずそこの写真、撮って来たからさ、オバさん・・・ね?』
しきりに頭を下げるオバさんに私は・・・
『 いやあの、ただの ” 風景 ” でしかありませんから・・・なんの証拠にもならないかも知れま・・』
『 いえぇぇ・・いいんです! もう、証拠を掴みました。これでもう・・・ぐうの音も出ないほど・・』
オバさん、取り付く島がない。さすがの先生も・・・
『 coji君の言う通りよ、オバさん。これははね、” 一応、撮ってきた ” ってだけなんだから、ね?』
テンパッたオバさんの耳には多分、この台詞は残っていないだろう。
 『 あ、これ些少ですが、お手間掛けたんですもの、お受け取りになって 』
封筒に入った5千円を、私に差し出した。
『 いえ、こんな、クルマ転がしただけですから、ボク 』
プロではないし、断る律儀さがこの頃はあった。
『 あ、いいのいいの、貰っときなさい。coji君、” イイ仕事 ” したんだから、ね?』
と、ウインクする先生に押しきられ私は、日当を手にしたのだった。
 とまぁ、こんなお姉さんが居た訳なんであるよ。
その後、何度か電話で・・・
『 ねぇ、ヒマ? 軽井沢、走りに連れてってよ。アタシのクルマ、運転して?』
なんて事が、あったなぁ・・・。そんな時、決まって先生は、ステアリングを握る私の頬を、横から指で突き含み笑いしてたっけ。
 しかし、その先生とは、そこから先への進展は無かったのである。女としては間違いなく ” 第1級 ” のレベルに属するが、漂う雰囲気に何か危険性を察し気圧されていた、と言うのが実態だ。
 暫く連絡が途絶え、こちらからも敢えて取ろうとはしなかった。
風の噂に、引き合わせてくれた友人とその後、” ドロドロの修羅場を演じる関係 ” となり、仲間内で評判となった後、糸の切れた凧の様に結婚してしまった。かなり後になって、彼女の御母堂と話す機会があった。
『 あ、ご結婚されたそうで、おめでとう御座います 』
『 そうなのよ・・・” ワタシ、結婚なんかしないワ ”、なんてあの娘、みんなにふれ回ってたじゃない? 本人も、恥ずかしくて言えなかったんじゃないかしら。アナタも、色々と引きずり回しちゃってゴメンなさいね?』
私を、単なる ” 子分の一人 ” とでも聞かされていたのだろう。そう言って御母堂は、恐縮していたのであった。
 当時、私は、今からは想像も出来ない様な ” 優男風 ” であったので、3つ4つ離れたお姉さん方には人気があった。尤も、良い ” アシ ” として使われていたきらいはあったが、深い仲になった何人かからは・・・
『 アタシね、coji君とが ” 最後の恋愛 ”、だと思う。そんな気がするの・・・イヤン、重く考えないでね?』
と、言われた。当時は、” んなモン?”、くらいにしか考えなかったが、別れてから皆、一様にそそくさと結婚してしまったのだから、言わずもがな。今となって思い出してみると、ほろ苦さが胸を覆う。ふ・・イイ時代だったよなぁぁ・・・

 あぁっ!
” 夢 ” の話だったな。ま、そんな女 ( ヒト ) が居たと思いねぇ。
 ” 今の私 ” が、” 当時 ” のまんまの先生の横で、ピアノに対峙している。甘い吐息と共に、先生が言う。
『 アラ・・・” 心ここに在らず ”って感じじゃない。どしたの?』
和音を弾きそびれた私の手の甲を、先生の細い指がなぞる。
『 す、スイマセン・・・練習不足で・・・』
『 そう?』
先生はそう言うと、ブラウスのボタンを2つ、外した。
『 暑いわね、この部屋・・・』
嫌な汗が背を伝う。
『 どこ見てるの? 気になるワケ?』
『・・・』
先生の指は、” 二本足 ” で私の腕を辿り、鍛えた上腕の辺りをひと撫ですると、おもむろに下がった。
『 ひぁっ!・・・』
『 ” 動き ” が悪いぞぉ? ” ここ ” と違ってぇ 』
円を描く・・・。
『 せ、センセぇ・・・そんなことをしたら、て、 ” テポドン2号 ” が・・・』
『 ” テポドン ”? それなぁに? んふ・・なぁにかなぁ?』
当時の先生が、そんな物を知る由もない。” 円 ” が二拍子になる。
[ こちら管制、秒読みに入る、どうぞ!]
[ 総員、配置に着いた、どうぞ!]
私の中の、普段は小さな ” 影虎 ” が今は、天守閣で ” 毘沙門の旗 ” を振っている・・・。
『 だ、ダメです、殿ぉ・・・。お止め下されぇ! お止め下されぇぇぇ!!』

 発射こそしなかったまでも、この様に淫靡で強烈な朝を迎えたのである。曇り空だし・・・日記なんて書いちゃったよ・・・。
( - _ - ; )
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2009年02月27日

休業疲れ

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 さて、” 週休4日 ”生活もひと月を経ようとしているが、何とも無駄に浪費しているな、と言うのが実感である。
 幸か不幸か仕事もヒマなので過去、” 2D ” で設計した装置を ” 3D ” 化したりして、気ままに遊んでいる始末。ま、” 遊び ” と言うのは当然、卑下である。購入部品と併せて200数十点からなる部品を3Dモデル化し組み立てていく作業の行程は、1〜2週間ほどと結構、掛かるし、出来上がった物を他者にも閲覧可能な状態に変換して保存しているので、社の財産作りには多少なりとも貢献している。そうとでも自負しなければ、やっていられない。
 私の休業シフトは、” 木曜・金曜 ” である。
なので、水曜日などは夜更かししてしまい、木曜の午前中は屍と化している。なぁ〜にやってんだか・・・。もう少し陽気が良くなれば、バイクでふらっと出掛けるにはうってつけの至福の時間なのだろうが、チャキチャキの冬支度をするのが何とも億劫ですっかり、足も遠のいているのであった。金も無いしな・・・。
 バッテリ−は、チャ−ジャ−に繋ぎっパなので心配ないが、中の潤滑系が心配である。
 先日もチョイ乗りした折り、少し気になる症状が出た。エンジン始動は一発OK、暖気もいつになく入念にこなしたのは言わずもがな。信号が変わり、ニュ−トラルから1速に入れた瞬間、クラッチレバ−(クラッチ)が ” シュポペッ! ” っとスッポ抜け、スト−ルしてしまった。まぁ、大した事はないのだろうが、信号で先頭だったものだから結構、ヒヤッとしてリカバリ−に手間取ってしまった。多分、暫く可動させていなかったので、内部で一部が癒着してしまっていたのだろう。現象はこの一回きりだったので、エンジンが十分に暖まった状態を何度か繰り返せば収まる、と勝手に判断し良しとした。ハ−ドボイルドらしからぬ振る舞いを演じてしまった。ファンの諸君には、この場を借りて詫びておく(ナンのこっちゃ!)。
 それが理由でもないのだが、STIにもプチ・カスタム。
イグニッション・スタ−トのボタンを、” STI誕生20周年アニバ−サリ− ” で出た ” 深紅 ” の物に替えた。たかがボタンと言うなかれ。ボタン部だけに留まらずスイッチAssyごと交換となるので、1万6千円ほど掛かる。こんな折りなので、男涙の10回払いだ。本当は、15mm程車高がダウンする真っ赤な純正強化サスなんかも入れたいのだが、そんな金がどこにあろうか。春にはバイクの車検も控えているので、愚痴の一つも出ようってもんだ。せめて一年、ズレていてくれたらなぁ・・・無情である。
 その車検、友人がやっている様に、ディ−ラ−で12ヶ月点検だけ受けユ−ザ−車検に臨む、と言う手法を踏襲しようと思ったのだが、その費用も惜しい。友人のマシンはBuellだから、そんなのは自殺行為に等しいと思っていたのに。ただ私のマシンは、機関絶好調なので、ぶっつけで本番に臨もうと思う。悪くたって、ヘッドライトの光軸くらいのもんだろう。
 フィットネス。
なんせ暇なので、この2月はパ−フェクトで実行出来ている。
 受付のオジさんは・・・
『 ほぉ・・一生懸命、通ってるねぇ! 』
などと感心されるが、暇なんだもん! 体くらい、鍛えなくちゃな。そこで有閑マダムに見初められ、DUCATIとKTMとBMW、買ってくんないかな・・・。オジさんに ” 週休4日 ” の話をすると俄に真顔になり、本気で心配し出す。オイオイ・・・真顔になるなよ。んなもん、ハ−ドボイルドは気にしちゃいねぇよ!
( T _ T )
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2009年02月05日

もぉう・・イヤ!

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 あ、さて・・・バットマンは来てくれたんであるがそれ以降、とんとご無沙汰して居ります。ま、激動の日々で、あんまりにも書くことが多過ぎて手が止まっていた、と言うのが実のところ。時間とヒマはありましたよ、ハイ。
 
 で、まずは不況ですわ。
各メディアで大きく騒がれる以前から、我が社の受注状況は滞っていたのである。ただ、好調時の蓄えがあったので、それを取り崩して保っていたのであった。年末の賞与もほぼ満額出たので、それはそれで結構、有り難い事だ。
 しかし、それからが良くない。
一社依存の煽りを受けいよいよ、抜き差しならない状況に至ったのである。ただ、これは遙か以前から指摘されていた事で、アレやコレと手を打っては居たものの、そのどれもが即効性の無いもので、経営陣の先読みの甘さは非難されるべきであろう。一社に、90%を超える受注を依存しているのだから、それに匹敵する売り上げを他で上げるにしては、着手している開発案件はろくにマ−ケット・リサ−チもせず、内容も二転三転するのだから、やる気が本気であったのか怪しいものだ。極めつけは、今月から始まった ” 休業シフト ” に到る経緯である。
 助成金申請の為、休業シフトが上層部で決定された。
これは、仕方がない事。当然の事だ。利用できるものは、何でも使ったら宜しい。それから、だ。中身の無いミ−ティングを毎月曜の始業前に行っているにも拘わらず、その場では我々 ” 準幹部 ” には何の報告もされず、勝手に選別した ” 社員代表 ” と称する犠牲者達 ( 職制は低い ) に強引に説明し、” 既成事実 ” として発表した事は許せない。当然、いつもなら羊の様に大人しい我が社員達からも非難の声が挙がり、上層部は説明に追われる事となった。
 何故にこう、姑息な手段に出るのだろう。
裏は、読める。つまり、説明段階で、” 口の立つ者達 ” から追求されるのが嫌なのだ。冷静に、経営の変遷を説明する度量が無いのだ。心苦しくて、自分自身が押し潰されてしまうのだろう。前回のショック時、先代は半ばノイロ−ゼになり、最も大事な局面で苦行を放り投げ、ホ−ルドアップでギブアップだった。その時、当代は、ある事情で社を追い出されて居り、親の金で暢気に留学していたと聞く。代が替わっても、卑屈な DNA は受け継いでしまったのか。
 このままの傾向が続くのなら、我が社の未来は甚だ暗い。
最悪のシナリオは、負債を背負い込む覚悟が無く、さっさと社を清算してしまうであろう事だ。経営者が、形振り構わず格闘した結果であれば、皆も砂を噛んでも付いて行くだろう。それが、保身が優先されるこの様な結末であればこれは、遺恨を残す事になるぞ〜?
本当の苦難、苦行は、そこからが本番なのだ。信じている人間を裏切った者に、枕を高くして眠れる日は無いのだ。私の見立てが、間違っている事を祈る。

 父親の具合が、芳しくない。
四十半ばの私の父親であるが、齢八十九になる。歳が行ってからの子なんですよ、私。しかも、第一子。
 メロウな認知症が進行していたが、徐々に足腰が弱くなり、ふとした切っ掛けで肺炎を発症した。しかし、タフな大正生まれは快方に向かい、年を越して ” そろそろ退院か ”、との声が聞かれた頃に又、危険な状況に陥った。
 入れ歯を外され、自力での呼吸が出来ない父親は、小さな体をベッドに横たえていた。その顔は、暫く前に亡くなった父親の姉、伯母にそっくりである。時々は目を開けるものの、周囲の人間を含め、その状況を認識している様子は無い。” 今夜が峠 ”、と医者から呼ばれて後、二晩が過ぎた。
 ところが、又々の復活である!
続いた発熱も下がり、テレビのチャンネルを変えろ、と文句まで言う程になった。尤も、明確な言葉を発せられる訳ではないが、目線と仕草でそれと分かる。
 そうなると不思議なもので、途切れていた制御回路も繋がっている様だ。問いかけには正確に反応し、私のボケにも笑う。母親は ” お前の効果だ ” だと言うが、私には何と言うか、” 最後のご褒美 ” の様な気がしてならない。肺炎の原因も、自らの唾液だと言うし依然、予断を許さない状況なのである。
 調度、意識が回復した頃、父方の親戚が訪ねて来出した。
父親は、兄姉の末っ子であり私は ” 遅れて来た子 ” でもあるので、父の一番上の姉 ( 故人 ) の子である彼等 ( 父の甥・姪 ) は、私とは従兄弟同士とはいえ、一世代上の人達である。
 こんな状況が、子供の頃は鬱陶しかった。
それこそ、” 親が何人も居る ” 様な状況を毛嫌いし、義理事からは遠ざかっていた私であったが、いざとなったら老骨にむち打ち、遠路を訪ねてくれる気持ちには正直、” 有難う ” と言いたい。本当の義理を尽くしてくれる人達の気持ちは、忘れてはならない。私も、ここまで大人になりました。

 そんなこんなでも、気休めはあった。
ゴシック・ホラ−系のロッカ−やってる、私の姪だ。
 私の目には如何せん、” チャラ子 ” に見えて仕方がないのだが私の母親曰く、祖父の入院費の交渉を病院側としてくれたり、母が椅子から転げ落ちて SOS を発した時など、仕事を放り投げ軽をぶっ飛ばして駆けつける、真に頼りになる存在なのだと言う。人は見掛けに依らない、とは本当の事らしい。そんな姪が、私が帰省中、見掛け通りの本領を発揮してくれた。
 病院で待機の合間、私が最近ハマっている ” 世界を牛耳る裏組織 ” の話を聞かせたところ、異常なまでの食い付きを示したのである。で、続きが聞きたいが為に、一緒に実家に泊まったのだ。
 翌日、ノロノロと起きた私が見舞いへと重い腰を上げる頃、中々起きない姪にシビレを切らした母が覗き、面白いから見てみろと言う。掛け布団から、金髪に近い茶髪だけが覗いている。

姪:『 あ、オイちゃん、オハヨ〜。婆ちゃん、ゴハン・・・』
C:『 ウスっ! お前さ、起き抜けによく食えるな 』
姪:『 は? だって、お腹すいてんだもん!』
C:『 ま、そりゃそうだけどな・・・。でさ 』
姪:『 あァ・・』
C:『 寝てる時お前、布団から髪の毛だけ出ててさ・・・』
姪:『 ん"ん・・・』
C:『 ” プリン ” みたいだったぞ?』
姪:[ ブフッ! ]

 そんな姪に、母が戸締まりを頼むと、その段取りが面倒臭いので、一緒に出ると言う。又、支度の間を待つのかとゲンナリして言うと、そのままで良いと返す。ちなみにその格好、素足/ジャ−ジ風の寝間着/トレ−ナ−/チャンチャンコ/髪はボサボサ・・・狂ったプリンだ。

母:『 早く支度しな・・』
姪:『 え? このままでイイがね 』
母/C:( ゜ △ ゜ ; )?
姪:『 なんでぇ! イイじゃんべつに 』
母:『 ってお前、寒いよ・・・』
姪:『 婆ちゃん、毛布!』
C:『 お、お前・・・マジ、なのか? 今時、” 難民 ” の人
   だってもうチョットましな格好してんぞ?』
母:『 お、オカシイよ・・・』
姪:『 そう? クルマから家までだから、平気だよ!』
C:『 き、” 着の身着のまま ”って、こういうのを言うんな。
   スゲぇ・・・負けたよ 』

こりゃ、FAN も泣くわけだ。

 そんな、姪も夢中になった話というのは、アメリカのと言うか、” 国際金融複合体 ” の陰謀についてだ。あの、” 9・11 がペテンだった ” というのは今は結構、知られて来た。それが、どこぞの ” トンデモ本 ” の類に書かれている事なら眉唾ものだが、退役軍人/元 FBI/元 CIA/突入した消防士 etc の公式証言として発表され出した。百歩譲って俯瞰で見ても、以下の状況証拠は、世界の目にはどう映るのだろうか。


・ツイ○・タワ−へのあの攻撃は、事前にしかも正確に
  シミュレ−トされ、マニュアルを基にして訓練が実施されて
  いた。なので付近の管制官は、訓練の続編かと思っていた。
・ラ○ス前国務長官は知人の官僚に、” 9・11 は、フライトの
  予約はするな ”、と TEL で警告している。
・突入した消防士は、複数階での連続爆発を報告している
  ( 交信記録多数 )。

 その他、数え上げたらきりがない。” 9・11 ” で検索を掛けると、夥しいサイトがヒットする。YOU TUBE 然り。ま、その中から、正しい情報を見分けるのがその人間の良識だが、不況で時間のある今、ヒマを潰すのには調度良い。” ドルのデフォルト宣言 ” も面白いです。

http://www.youtube.com/watch?v=EeWqlJHzcSo

http://www.youtube.com/watch?v=f0PDhMZf6Yc&feature=related

http://www.youtube.com/results?search_type=&search_query=911&aq=f
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2008年12月17日

BAT MAN がやって来た!(来てくれた・・・ )

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 私の家の前の市道には、当然ながら側溝がある。
で、そこに被せてあるコンクリの蓋は、水捌け用のグレ−チングが一部分だけの小さなタイプなのだ。家の並び、区画の端までがずぅ〜っとそうだ。対するお向かいさん側は、区画の所々が ” 全グレ−チング・タイプ ” が配してあるのである。
( 前フリ続く )
 ウチは角地なので、敷地の端の市道には 1m 角の大きな全グレ−チング・タイプの排水口があり、区画全体を通してそこへ集中排水させると、とそういう仕組みになってなっている訳だ。
( ハァハァハァ・・・)
 当然、雨降りの時など、区画の大半の水が最後に辿り着くのが、我が家の前の排水口なのだ。ま、そうは言っても、余程の大雨でもなければ、それを意識した事は無かった、今までは。
 困るのが、隣家の ” 洗車 ” なのである。
せめて敷地内で洗えば良いものを、わざわざ通りに出して洗いやがる! 必然的に、流れる洗剤や水は、我が家の前に川を作る訳だ。越して来た最初の内こそ、そこの家のチビ助が竹箒なんかで掃いたりして気を遣っていたが今ではずうずしくなり、親戚のクルマと2台同時にコキやがる始末!! ピカピカに磨いたバイクで帰宅した私に、どうやってこの川を渡れと言うのか・・・。ただ、” 悪質 ” とまでは言えないので、これ見よがしにその作業をのぞき込むだけに留めていたのである。
『・・・へへへ・・・すいません・・・』
文句は言わずにいてやるが、引け目を感じるなら、ちったァ気を遣えや。去年は、大晦日にやられた。
 今年もやられたら、とキレそうになった私は、先手を打つ事にしたのだ。隣家と我が家の間の蓋を一部、全グレ−チング・タイプに換えてしまおうと思った。そう、自腹でだ。悪質とまでは言えないからな。建てた時に世話になった建築屋に相談すると、市の管轄なので勝手には手を付けられない、まぁ、大筋ではこうだ。しかも、 ” 洗車で被害を被る ” が理由ではまず、聞いて貰えないとか。
 途方に暮れていると、一計を案じてくれた。
” 降雨時に於ける懸念 ”、だ。水捌けが悪くて ” 子供 ” が危険だ、と。” 見ていられない ”、と。
 その陳情の為に仕事を休むのは、ヒマになったとは言え癪なので、得意のテクニックを駆使する事にした。家屋周辺をデジカメで撮り、それぞれに説明文を載せたメ−ルを市に送ったのである。業務上、得意なインプレッションも追記した。勿論、冒頭の ” 区画整備の設計意図 ” も察して見せた。
 待つこと2日、仕事で出られなかった携帯へ、整備課の人から連絡が入った。要約すると・・・
” 貴殿の訴えを受け本日、実地調査をした結果、要求通りの必要性を認めたので、実施の運びとなりまし候・・・ ”、だ。地方行政も、捨てたもんじゃないね。ただ、事前に相談しておいて良かった・・・。作戦の勝利なのであったのさ!
( ^ _ - )

 で、本題。( って、前フリかよ、オォ )
” THE DARK KNIGHT ” で益々あのシリ−ズに心酔した私は、調子に乗って DVD、買いました。更にタ−ボまで掛かり、フィギュアまで買っちゃいました・・・( PHOTO 参照 )。

http://www.kotobukiya.co.jp/cgi-bin/db_sm_main_css.cgi?B=6219&N=detail01&C=901-1175-1223-

コトブキ屋製。全高 350mm の、結構な大物だ。今まで、こういうのはバカにしていたがどうしてどうして、顔はちゃんとクリスチャン・ベ−ルになっている。塗装部の質感は、ホンキになったら塗り直しが必要だが、その造形自体は完璧だ。
 関連して色々と調べていると、スンゴイ物を見つけた。

http://www.studiooxmox.com/sites_e/frame_life.html

” 実物大 ”、だ・・・。” マネキン ”、と言っても我が国で理解されている意味とは違う。キャラクタ−・フィギュアの総称として、使うのらしい。なんでも、スタジオとライセンス契約をし、実際に撮影で使ったス−ツから型を取るのだと言う。” 超人ハルク ” まである。間違いなく、ホンモノだ! こういうのを待っていたんだ、私は。もし、自分にその財力が有ったなら、私は部屋中をこれらで埋めるだろう。好きな人は、時間が経つのを忘れます!
 あぁ・・・で、件の懸念が払拭されたのも、BAT MAN 効果だと私は思っている。だってぇぇ・・・そうでも思わなきゃ、周囲に説明がつかないだろう、ホントに。
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2008年11月23日

たまにはバイクの話でも・・

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 先日、余りにも惰眠を貪らせているバイクが心配になったので、” 森主催 ” の試乗会へと行って来た。風はそこそこ冷たいが折からの晴天とあって案の定、試乗の待ちはほぼゼロ! 申し込みを済ませると、すぐに乗車である。今回のお目当てはズバリ、” XR 1200 ” だ。
 座った感じは、奇をてらったとこが無く、より自然なポジションが取れる。この私でそうなのだから、もっとタッパのある人なら余裕だろう。ただ当然ながら、ハ−レ−の中ではシ−ト高はある方だ。でも、スポ系を乗り継いできた人であればノ−・プロブレムだ。更に言えば、国産ネイキッドユ−ザ−にも受け入れられる素材である。ただ、ハ−レ−特有のディメンションで、ステップの幅に対してタンク周辺が極端に細い為、” ニ− ” は効かないし、出来ない。無理矢理やろうとすると、見るも哀れな ” 内股ライド ” になってしまう。
 極端に上屋の軽い ” ヤジロ兵衛効果 ” のせいで、車両の起こしは楽勝だ。先導車の合図で、クラッチをミ−トする・・・と、” タッタッタタタタタっ ” との軽快な排気音をは裏腹に、私の上半身は仰け反った。いっつもそうだが、ついつい自分のマシンと同じ調子で開けてしまうのだ。詳しいメカニズムに関してはここや、他媒体のインプレッションを見て下さい。
 それを差し引いてもこのフィ−リングは、ハ−レ−中では明らかに異質だ。今までは、自分の VRSC シリ−ズが最右翼だと思っていたが、回転を上げてカムが乗ってからの伸びを特徴とするクル−ザ−的な自車に対しこれは、” 瞬間発火 ” する。既存の H-D ラインアップからは到底、イメ−ジ出来ない凄さであった。断言しよう。これは、” ハ−レ−の皮を被った BUELL ” だ! しかも、ホイ−ルベ−スが長い分、心して乗れば面食らう事は無い。
 ほんのチョットのモディファイで更に過激になるそうなので、公道ユ−ズのロ−ドスポ−ツとしては、これで十分だろう。価格もまぁ手頃なので、主に外観をカスタムすればかなり、個性的な一台が出来上がるはずだ。フィ−リングはご想像の通り、他社のモデルに比較しても卑下する事もないので、その分を外観の方へ回せそうだ。手放せない一台になる可能性を秘めている。

 VRSCF ” マッスぉ〜 ”
ナイトロッド SP と言い、シリ−ズの拡充に力を入れているカンパニ−。ヤルに事欠いて、今度はこれかよ! このシリ−ズに関しては最早、完全に人気の高いヨ−ロッパを意識している気がする。
 実車は、マフラ−の賛否はあるとしても、全体はまずまずの仕上がりを見せていた。ハンドルバ−をもう少しスリ−クなタイプにして手前にリデュ−スすれば、中々に迫力あるクル−ザ−になるだろう。今になって見れば、メカの革新性 ( H-Dで言えば、ね ) の割に、値段は手頃である。
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2008年11月03日

死んでまぁぁっス・・・

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 依然、大勢の人が居る環境なんかで仕事をしているものだから、案の定と言うか、滅多に風邪などひかぬ私が・・・そのお裾分けを貰ったのである。熱が上がらないのが救いだが、鼻づまりと咳にはホトホト参っている。特に咳き込む日は、寝られない。
 或る夜、私は、詰まる鼻の苦しさに、それを何とか解消しようと、右に左にと寝返りを打っていたのである。と、夢現の中で私は、”オカリナの音”を聞いたのだ。
[ え? 一体ナンだ?・・・]
そこは純真な子供心を持つ私のこと、そこから連想されるのは、大きな大きな森の木の上で、トトロと大っきいのと小っちゃいのと、サツキとメイが、オカリナを奏でているシ−ンなのであった。定石だ。私のシナプスは、暴走と短絡を繰り返し、サツキとメイの会話までもが聞こえて来る・・・

サ:『 ”人が多い ”ってさ、それはそれで大変なのよね?』
メ:『 どして大変なの? おネエちゃん!』
サ:『 だってぇ、周りで ” コホン・・コホン ” やられて
    ご覧なさいよ、堪ったもんじゃないでしょ?』
メ:『 アノさ、ウンとさ、どして ” たまったもんじゃない ”
    の? ねぇどして?』
サ:『 んもぉ・・ま〜たメイの ” どして? ” が始まった!』

ここで私の、暴走していたシナプスが偶然にも、次の駅へと繋がったのである。夢の中のサツキの論調に ” そうだそうだ!”、と納得し、何ともホンワカした夢現気分の私の耳に、オカリナとはチョット違う笛の音が届いた。規則正しい ” ピ−ピ− ”、という笛の音。段々と意識がハッキリとしてきた私は・・・
[ ああ、これが ” オカリナ ” を連想させたんだな? ]
と思い、音の出所を探るとナント、自分の呼吸としっかりシンクロしていることに気が付いた。そう、” オカリナの正体 ” は、実は私の ” 鼻笛 ” だったのである!
 なんのことはない、詰まったテメェの鼻笛の音で、ハ−ト・ウォ−ミングな夢を連想する。そこには確固とした、リサイクルの精神が息づいていたのであった。アホである。
んで、苦しい!
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2008年10月23日

出稼ぎ生活と社の旅行・・・

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 以前より断り続けていた、顧客からのオファ−。このとろこの不景気風が吹き荒れる中、我が社もついに手のひらを返した。社員の出向・常駐をあれ程嫌っていた先代が隠居したので、ドライな当代は遠慮がちながらも、私を別室に呼んだのである。
 尤も、私とて社で惰眠を貪るのは本意ではないよ。それに、間接費が掛からない設計工数は全てが付加価値になるし、売り上げに貢献出来るとあっちゃあ、二つ返事で出稼ぎだぁいっ! ま、先様は一部上場企業だし、女子社員も多いのだよ・・・困るなぁ・・・いちいち断るのも悪いしなぁ・・・。

 ハイ。
で、そろそろ二週間が過ぎようとしている。業界にゲソ付けた頃から、外注生活には慣れっこなコッチ、プロは仕事の場所など選ばないのである。
 ま、仕事の話はさておき、久し振りに聞いたよ、” 給湯室での黄色い声 ”。いいなぁ・・・活気があって! 玄関からオフィスに行くまで二十回は返ってくるよ、” 黄色い挨拶 ”。楽しいなぁ・・・ここん家の子になっちゃおっかなぁ。当代からクギを刺されたのも、この点だ。
 こういう場合の常で、喫煙所や食堂のいたる所で、
[ 誰だコイツ?]
という ” 視線 ” を浴びる。スペシャルのネ−ム・タグを下げているのであくまでも視線だけなのだが、正直で宜しい! 私は、隅っこの方で慎ましやかにしながらも、” オレ様だよ! ”、との波動を送り威嚇しているのだ。社に戻ったら、株でも買おう。先代が言っていたが、これだけ付き合いが長い我が社の場合でも、インサイダ−にはならないのだとか。そんなこんなで、溜飲を下げよう。私も、大人になったものだ。

 で、旅行だよ・・・。
社の創立三十周年記念行事も兼ねているので、幹事のみならず皆、気合いが入っていたのである。引き合いに出された目的地は、北海道/韓国/台湾であった。
 事前のアンケ−トでは、北海道がブッチギリで圧勝。
他のアジア圏へ行ったって、行き帰りに時間が掛かる割に余りに目に入るものは代わり映えしないし、パスポ−トだって必要だ。その点、北海道は安心出来る。食は豊富だし何より、最悪は自力で帰って来られるしな。概ね、こんな感じ。
 結果、近年稀に見る ”最悪の行程 ” でした。
とにかく、時間に追われた。やれ遊覧船の時間だのロ−プ・ウェイの時間だのに追われ、おざなりな観光とバスの道中が続く。で、船が実は、他の団体と合同のチャ−タ−で当初、一時間半の遊覧の予定が一時間で終わってしまい、何の変哲もない土産物屋で長いインタ−バルを過ごさなければならない、とか。
 極めつけはバスガイドで、オバさんなのはまぁ仕方がないとしても、こォれが又よく喋るんだよ・・・。我々だって一応、分別のある大人だし、昼間から早々に眠りこけるつもりはないが、頭の上のスピ−カ−から響く声は止まることを知らない。自分だけかと思ったら周囲の同志も同じで、せめて後部スピ−カ−の音量は下げろとのクレ−ムが相次いだ。
 ただ、言っている内容は、スポット説明は勿論のこと、噂話や芸能ネタ、蘊蓄を含んだ話芸で、場所が場所なら、客を退屈させない資質を感じさせた。あのね、” 上沼恵美子 ”、あんな感じ。言ってる事は、面白い。如何せん、息つく暇も居ないんだこれが。で、自分でボケてツッこんで、そんで自分で笑っちゃうんだぜ。もう、二度と会うことはないだろう。

P.S
 行程表をみたコンパニオンは、” この日程、あり得ないべさ ”、と宣たことを報告しておこう。

 そして今、これを書いている私は、満身創痍なのである。
原因は、二日目の晩に催された大宴会。その後の二次会以降の出来事なのである。左足の太股に、青痣。右肘に、打撲と擦過傷。そしてハイライト、右の目尻には青タンを頂いている。
 二次会で入ったホテルのラウンジは小綺麗で、結構な広さであった。そしてそこには、強者の先達が居たのである。予め、言っておく。傷の数々は、これらの団体とは関係ない。私も大人だ。
 この団体が熟年グル−プで案の定、” カラオケ道場 ” 出身者と思しき面子がチラホラと。自らが歌い踊る、正にオ−ルラウンダ−の歌謡団だったのである。隣のボックスでそんなことをされちゃあ、我が社のレビュ−魂にだってスイッチが入ろうってもんだ。皆、声が枯れるまで歌い、燃え尽きたのは言うまでもない。
[ 氷、入れなくてもいいんすか?]
との若手の声を振り切り、私はウイスキ−をストレ−トで煽っていた。グラスに 2・3杯は飲んだが、意識は明瞭だったのである・・・この時までは。
 そしてそのあと、アレが動いた。
部屋に帰るエレベ−タ−を待っていると、” ゾンビ ” が出た! このゾンビは、足が速かった。” これでもか ”っちゅうほど耳をしゃぶられながら後ずさり、背後の柱に激突。応援のSWATに援護され何とか、部屋に帰った。
 帰ったら帰ったで、リベンジせねば気が収まらない私。
[ 絶対にゾンビを部屋に入れちゃなんねェ!]
との同僚の台詞を背中で聞いた私は、決死の覚悟で廊下へと飛び出したのである。ゾンビの居場所は、壁を通して聞こえる声で ” 隣の部屋だ ”、と確信していた!
 ネコ手でその部屋のドアをカリカリカリと引っ掻き、派手にドンドンと叩いてやった。耳を澄ますと・・・
[ ウぅルァァァァあ〜〜〜このオレを挑発する奴ァ・・・・・・・どいつだぁぁぁあっ!]
ゾンビ、着火である。心臓が喉から飛び出すほどの恐怖を味わいながら私は、一目散にエレベ−タ−へと走った。
 その手前の曲がり角へ滑り込み、身を伏せた。ゾンビは部屋を出て、周囲を睥睨している。その様子を、声を押し殺して笑っていた私は次の瞬間、飛び出しそうになっていた心臓が、今度は止まりそうになったのである。角とエレベ−タ−の間には大きな柱があるのだが、ナントその柱は、周囲が鏡張りだったのである。鏡越しに見ると、同じく私を見たゾンビが、サンバを踊りながら狂喜乱舞していたのであった。
[ キャアぁぁぁぁぁぁあ!!]
 ” このままではヤラれる ”、と思った私は、エレベ−タ−のボタンを押すのももどかしく、隣の階段へと駆け込んだ。で、最初の踊り場で、いつもの様に右手で手摺りを掴みその勢いを駆って効率よくタ−ンを敢行したのであ・・・タ−ンして・・・タ−ンし過ぎて止まりきれず、その下の手摺りに右目尻から激突。もんどり打って階下へダイブ!
ここで、私の'08年は終わった。

 その後、健気にも同僚の為にジュ−スを買い、瀕死の体で部屋へと帰還したのである。そして案の定、それからはトイレに駆け込むこととなった。
 腹も下し、後ろから前から ” 逆噴射 ” が続くので、便座に座ったまま立ち上がることが出来ない。様子を見い見いしている内、眠気が襲って来た。でも、この眠気がある程度続けば、ここから脱出することが出来るのだ。そんなことを考えている内、パンツをズリ下げたまま、” W字開脚 ” で眠りこけた。救急車の出動まで視野に入れた同僚に起こされるまで、私は沈黙を守ったのであった。
 翌日はその話で持ちきりで、尾ひれ背びれが付いてもの凄い事になっていた。そして皆、私の顔を見るにつけ絶句した事は、言うまでもない。
最低の旅行だよ・・・。
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2008年10月03日

FANっ!

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 溜まっている代休をサッサと取り、秋の高原へと繰り出した。道連れは、” クルマ ”です・・・。
 納車前に営業氏にお願いしたのは、” 慣らしレシピ ” の伝授であった。エンジニア曰く、” 精度には絶対の自信があるので基本、必要ない! ”、だそうだ。言い分は、分かる。私も、その端くれだから。だが、そこを敢えて聞き出して貰ったところによると・・・

・しいて言うなら、1000km で十分!
・〜 200km → 3000rpm でシフトUP
・〜 400km → 3500rpm
・〜 600km → 4000rpm
・〜 800km → 4500rpm
・〜1000km → 5000rpm
・無駄なファ−スト・アイドルは不要。低回転で、クルマ
 ” 全体 ” を暖める
・エンジン停止時も、事前にク−ル・ランし、1分ほどのアイドル
 でタ−ビン保護は OK

これだけだ。
 若い頃の知識だとこれに、” 律儀なシフトダウン ” が入る。シフト・インジケ−タ−摺動部を慣らす為だけと思いがちだが、加速時と減速時ではシリンダ−内壁にピストンが及ぼす負荷の方向が違い、これを均等にする為なのだとか・・・。何となく説得力があるので、と言うか厳密に言えば ” あるはず ” なので以降、マニュアル車の場合は実践して来た。60km/h では 6 速まで入れ、信号の度に 2 速まで落とす。
 今現在は、4000rpm までの段階だが、イイ感じで各部の渋みが取れて来た。尤も、街乗りでは 4000rpm も必要ない。そんなに回せば、法定速度は軽く超えるので取り締まりがあったら即、お縄を頂戴するハメになる。
 このシフトは、定評がある。ジャ−ナリストの中には、” 世界レベル ” と評する人もいる。AT 生活が長かった私はイマイチ、ピンと来なかったが、今では分かって来た。OFF と ON には明確なクリック感がありその間を、” 冷めたバタ−を掻き回す ” 領域がある。そのバタ−の冷め具合が、” 半練り ” ほどの滑らかさになった。なるほど・・・。
 クラッチ然り。
決して軽くは無いそれは、繋がり方は素直なものの、リリ−ス・スプリングの具合に馴染めず、初期の渋みと相まってぎこちないチェンジが続いたのであった。まぁ、私がヘボなだけなんだけどね?大事にしようとするが余り、UP も DOWN も、途中で一回 ” 溜め ” を作ってしまう。これは昔、乗っていたオンボロ車の時のクセなのだが、それを体が覚えている訳だ。こうしないと、ギヤが鳴って次に入らなかったのさ。しかし、最新のパフォ−マンス・マシンは、ロ−なんてトルプルコ−ン・シンクロが入っているから殆ど無敵なはずなんだが。つまり、一連の連携が上手く行かず、しっくり来なかった、と。
 このクラッチも、ある所から ” えっ? ” と思うほど角が取れ・・・何と言うか、” もの凄い重たい物(トルク 43kg・m)を、コシのあるゴムで引っ張る ” 不思議な感じ。でもそれが、角が取れたのでスム−ズにいく。総評は、” コシのある剛性感 ” でしょうか。

 さて、ワインディング。
 ダブルウイッシュボ−ンのリアがなんとまぁ、良く粘る事。ショックは、目前のギャップを事前に知っていたかが如く、軽くいなしてくれる。事前に察知して居り、既に 2・3mm 動いていると、そんな風に思える収束感である。
 基本的に硬い足回りなんであるが、ダンパ−のこの初動が、極めて滑らかなのである。バイクなんかではこの効き目は覿面で、その代表格は ” オ−リンズ ” であろう。国産の OEM 品も結構、性能的には良い所まで行っているが、この最初の動き出しの部分が、未だオ−リンズに水を空けられているのであるらしい。以前の日記にも書いたので、興味のある人は見て下さい。純正の装着品を、劇的に変える魔法のケミカルがある。
http://virgin-sns.com/com/DRY_view.php?id=1497&uid=1168

 オドメ−タ−の所で任意に設定出来る上限回転数を、インジケ−タ−とアラ−ムに急かされながらシフトアップ。” マルチモ−ド DCCD ” を、好みの ” AUTO[−] ”にセットし、ひたすらフットレストで踏ん張りながらアクセルを踏む。

・AUTO
 全てお任せ。スム−ズな回頭性で始まり、後半はトラクションを
 掛け、切れのあるコ−ナ−リングを実現する。
・AUTO[+]
 [−]に対し、センタ−デフの差動制限を強めてより高い
 トラクションを掛ける。ややアンダ−気味になるが、脱出は
 速い。
・AUTO[−]
 AUTO に対し、センタ−デフの差動制限を弱めてよりシャ−プな
 回頭性をもたらす。オ−バ−気味かな?と思いかけるが、そうは
 ならない。

これらが無きゃ、とっくにクルクルと回っているだろう。245 を履くリヤが流れ掛けるがその度、クルマがトルク制御を掛け収束させる。上手くなった様に錯覚する。十分に車間を取っているのだが、決して煽ってなどいないのだが、厳つい顔のせいか前行くクルマ達はこぞって登坂車線へと非難して行く。
[ もう・・・ナンも言えねぇ・・・ ]

 ミシリ、とも言わない堅牢なボディ−を、コシのあるしなやかな足が支える。これはもう、買えないけど、アウディ−やポルシェなんか要らねぇ!値段、半分以下だしな。現に、スイスだかオ−ストリ−だかに、実に半分以上が SUBARU オ−ナ−の村がある。その全ての人と私は、同意見だ。
[ 半分以下の値段でこのパフォ−マンスが手に入るのに、アウディ−なんか買う必要がないでしょ? ]
手前みそだが、ホント−にいいクルマなんである!
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2008年09月29日

ヤッちまった!

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 さてさて、5年ほど前にバイク生活に返り咲こうと思った時に私は、それまでの ” クルマ道楽 ” は封印しようと考えた。そりゃあそうだ! 今やしがねぇサラリ−マンだもの、二足の草鞋は履けぬ。事実、その後に買ったのはご存じ ” ルノ−・カング− ” だしな。
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://response.jp/issue/2004/0901/article62898_1.images/70818.jpg&imgrefurl=http://response.jp/issue/2004/0901/article62898_1.images/70818.html&h=486&w=660&sz=48&hl=ja&start=1&usg=__i4VxhaHWaeNAEcXaeNWSGNmSc_A=&tbnid=SdFhK5jov6AOsM:&tbnh=102&tbnw=138&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2582%25AB%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B0%25EF%25BC%258D%25E3%2582%25B7%25E3%2583%2588%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25B9%26gbv%3D2%26hl%3Dja
車両価格で、200万ちょっと。

 しかし、そのカング−、さすがは彼の地フランスのガテン系、農道を走り回るアベレ−ジが 90km/h なんだそうで、設計のタ−ゲットもズバリ、そこに合わせてあった。そこから法廷速度ちょいオ−バ−くらいの高速走行時が、信じられないが一番、快適だったのである。車線変更だって、鼻歌交じりでヘッチャラなのだ。
 高いル−フの上屋の見掛けとは裏腹に、タイトなコ−ナ−を強引に曲がったりすると、グラッと傾く前にリヤが流れ出すのだ。日本の商用車とは一味違い、代官山辺りのお花屋さんで使われたりするだけでは、勿体ない実力を持っていたのであった。1.6L TWIN-CAM 16バルブだしね。荷物を積んだ上り坂なんかだと、トルク・ステアが強いのはご愛敬として、” クォ〜ン ” というらしからぬ咆哮を発するのだ。・・・何が言いたいのかと言うと、封印したはずであんな見掛けでも結構、FAN な生活を送ってしまって居た訳です。
 で、仕事の関係で知った、” 宅ファイル便 ” と言うレンタル・サ−バ−に登録した時、無料である代わりに、スポンサ−企業からの広告を受け取り出した、と思って下さい。” 宅ファイル便 ” とは、メ−ル添付などでは送れない容量のデ−タを、100MB まで転送してくれるサ−ビスなのです。
 ある日、その数ある広告の中に ” おクルマ一括査定 ” なんてのを見つけた私は、興味本位でカング−を査定してみた。結果を見て仰天! 4年前に 200万ちょいで買ったカング−に、120〜150万の ” 基本買い取り価格 ” が付くと言うのである。尤もこれはあくまでも ” 基本 ” であって、” 詳細は実車を見てから ” との決まり文句が付く。
[ こっ・・これは、残り 2年の残債を処理しても、かなりの額が余剰するぅ! ]
悪い虫が、俄に騒ぎ出したのであったぁぁ。
 暇に任せて、半信半疑のまま近隣の買い取り屋とかディ−ラ−を廻ってみた。” リンゴ ” とか ” 大巨人 ” とか巷間、良く知られた所へ、である。結果、下は 80 から、上は 100万の値が付いたのである! 調子に乗った私は、新車購入を条件に下取りを含めた見積もりを取った。
 しかし、悪巧みはそうそう上手く進まない訳で、下取り額が良い所は ” ロ−ン中の所有権解除が出来ない ” と言うし、それがへっちゃらな所は査定が低い。いい加減、諦めかけた私は、WRC のホモロゲを発表した ” SUBARU ” へ、最後の冷やかしに行ったのさ。
 ”'08 INPREZA WRX STI ” の見積もりを取ったところなんと、営業のお兄さんは縁のある買い取り屋に片っ端から電話を掛け、” 110万 ” の買い取り価格をカング−に叩き付けたのである!!
( ゜◇゜;)
や・・・やるじゃないか、SUBARU・・・。しかも、9月の決算月なので、月内に契約すると ”10% 近くを値引く ”と言うではないか!!! ここまで言われたら、私も ” 漢 ” である。据え膳食わぬは男の恥、余剰金を ” 頭 ” にして・・・行ってしまいました・・・。
 で今、” 300ps 超 ” にビビリながら、6速マニュアルでリハビリして居ります。未だ慣らしの最中だが、余りにも呆気なくスピ−ドが出るので、調子に乗っていると何枚、免許があっても足りない。
 オプションで BBS の18inc とF・ストラットタワ−バ−を付けたのだが、しなやかで角が無い乗り心地と、棺桶の様な剛性感に感銘している。さすが、” 準 ” ホモロゲ車両である。” 準 ” と書いたのは後に、更にスパルタンな ” SPEC-A とか B ” の出現が噂されるからだ。でも、そんな過激なのは私、さすがに保たないだろう。GT として十分以上の実力を持つ WRX STI が、私にはベストな選択だと思う。

 決してバイクに飽きた訳ではないが、FAN なクルマを持つと言う事がこんなに気持ちを潤すなんて実に、忘れてから久しい。私は今、小僧時代のウキウキ感に包まれている。
 参考までに、そんな一大ブ−ムを引き起こしているとも思えない中古市場でのカング−人気が解せない私は、営業のお兄さんに訊いてみた。

営:『 私も、聞いてビックリしました。あくまでも想像ですよ?
   恐らく、” ロシア ” 方面じゃないでしょうかね。
   それでも、上・下開きはダメで、cojiさんのお持ちの
   ” 観音開き ” ハッチ、これの人気があるみたいですよ? 』

なるほど・・・確かにここ最近、通勤途中でちょくちょく見掛ける様にはなっていたがまさか、コサックの国とはな・・・。
世の中、分からん。私もまだまだ、修行が足りなかった様だ。
インプレは、後日!
posted by coji at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記